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LivingAnywhere Commonsでテレワークをしながら、色んな場所を旅してみる。〜会津磐梯編(2)〜

「杉原さん、散歩はやめてください。熊が出るから」

8月に「LivingAnywhere Commons伊豆下田」からテレワークを始めた僕は、コロナ禍における運動不足解消のため、毎朝30分から1時間のウォーキングを日々の日課に取り入れていました。

それはここ「LivingAnywhere Commons会津磐梯」に移動してからも同様で、目に鮮やかな緑の中を、早朝の清々しい空気を吸い込んで歩くのはとても気持ちのいいものでした。下田の、海の香りを感じながら歩くのとは全く別の魅力が、ここ磐梯町の自然にはありました。

冒頭の「注意」は、ここに来て4日目の木曜日の朝、拠点から歩いて30分ほどのところにあるコンビニエンスストアから帰った僕に、「お母さん」の愛称で慕われているコミュニティーマネージャーの高橋さんからいただいたものです。

「熊が出るから」。大阪で生まれて大阪で育った僕には、その意味するところがいまいちピンときませんでした。クマが出る。

それから、山に登ることが大好きで、週末は必ずどこかの山にでかけていた僕はようやく「あ、クマが出るのか!」とその意味するところを理解したのでした。

この時期の野生の熊は長い冬を乗り越えるために、積極的に食べ物を取りにやってきます。それがしばしば山を降りて人里にまで出没する、ということがある意味では秋の風物詩のようにニュースで取り上げられたりしますが、ここLAC会津磐梯は、人里というよりはむしろ彼ら(クマ)の生息区域である山・森の中に位置しています。

そういう場所で、不用意に都会の感覚をもって生活してはならない。長年この町に住み、この町で生きてきたお母さんの言葉は、今自分が生活している場所の、ある種の「特殊性」のようなものに思いを行き渡らせてくれる、良いきっかけの一つになりました。

不便であることの効用

上述の通り、最寄りのコンビニエンスストアは徒歩30分の場所にあって、しかもそのコンビニも、午後8時には閉店してしまいます。

いわゆる24時間営業のコンビニということになると、そこからさらに15分ほど歩かなくてはいません。僕たちが一般的にイメージする「convenient(=便利であること)」とは若干ニュアンスが異なっているようです。クマが生活するエリアには、そんなにたくさんのコンビニは必要ありません。

前回も書いた通り、一言でいうとここは「不便な」場所です。周りには本当になにもないし、時期によっては出かけることすらままならない。

だからこそ、ここには人と人との交流や、助け合いの精神が溢れています。晩ごはんの買い物にいくのにも、車がないと行けやしない。けれどここを訪れる人全員が車を持っているわけではありません。

それなら誰か、車を持っている人が代わりに行けばいい。一人ひとりが持っている食材はシンプルなものでも、みんながもっている食材を持ち寄れば、それで立派なごちそうを用意することができる。そんなごちそうを、手が空いている誰かが、ご飯の用意も、買い出しすらも行くことのできない人のために作る。

それぞれが少しずつ「不自由さ」を引きうけて、代わりに善意を差し出すということ。互いにシェアしあったり分け与えたりすることを通じて、人工的に作られたコミュニティにはない、家族のような親密な、共同体的なネットワークやコミュニケーションが発生します。

僕たちの文明は「都市」という「システム」を創造することを通じて発展していきました。一方で、経済が発展して以降の都市は、お互いの顔が見える関係や、ちょっとした不自由を受け入れて共同的に生きるという習慣を、人々から奪っていきました。それが都市に住まうということの、まごうことなき一側面です。

どちらがいいとか悪いとかではありません。ただ、世の中がどんどん便利になっていくことと引き換えに私たちが手放していったものが、ここLAC会津磐梯には残っていて、それがそのまま、この場所で仕事をし、生活することの魅力の一部になっている。そんなふうに思っています。

来客

ここのワークエリアで仕事をしていて、来客を、とりわけ地元の方を見かけない日はありませんでした。

地元の農家さんや地ビール館の男性、はたまた猟師さんに至るまで、いわゆる「生産者」の方が本当によくここを訪れては、ちょっとしたおしゃべりをして帰っていかれます。僕も滞在が長くなるにつれ、そんな方たちと顔見知りになり、気軽に声を交わすようになっていきます。

そしてそんな方たちは、だいたい必ず「お土産」をもってきてくださるんです。

磐梯山の地下水脈を流れる水は、名水百選に指定されている、とても素晴らしい水です。その水をたっぷりと吸収して育った大地の恵み、特に水分を多く含む「夏野菜」は、この地域の特産品だといいます。

地元の農家さんがもってきてくれた「トマト」は、野菜というよりはむしろちょっとしたフルーツを思わせるような甘みと、トマトのほのかな酸味が合わさって、信じられないような味がしました。

けれど、そうやって農家の皆さんが丹精込めて育てた野菜も「形が悪い」などの理由で結構な量が廃棄されてしまうんだとか。

地元の人からしたらただの廃棄物でしかない、農家の皆さんが大事に育てた野菜を「おいしい!」といって喜んで食べてくれる人がここにはたくさんいる。僕たちは「地元の人が気づかない地元の魅力を発見してくれる」存在というわけです。

だから、いろんな地元の人がここに集まってくるんです。そしてコロナ禍や、都会の喧騒から逃れるように磐梯町にやって来た人たちから、この森と山に囲まれた「なにもない」場所が秘めている可能性についての話を聞いて、ちょっとだけ元気になって帰っていく。僕たちが、この場所を訪れて元気になって帰っていくように。

そういうことがずっと繰り返されたその先に、LivingAnywhrere Commons会津磐梯の「縁側的な機能」が形作られていった。そんなふうに感じています。

この町の「縁側」としての、LAC会津磐梯

現代の、とりわけ都市部に新しく建築される家屋にはもう見かけなくなりましたが、古民家などの昔ながらの造りの家には「縁側」と呼ばれる建築の様式がありました。大抵は庭や通りに面していて、家の一部でありながら、同時に家の外に位置する、そんなあわいの場所です。

家の中にあっての縁側は、廊下や通路の役割を果たしています。その一方で、外から家の中に上がる玄関の役割を果たしている場合もあります。つまり縁側は「うち」と「そと」のどちらにも開かれている場所ということです。家の一部だけれど、外でもあるという場所。

昔は、近所の親しい人なんかが、ちょっと縁側に座ってその家の主人なり奥さんとお茶を飲みながらおしゃべりをして、帰っていくということがありました。お客さんは、その人の家を訪ねていって、その家の空間の一部で過ごしているんですが、家の中に入り込んでいるわけではありません。

内と外を厳密にわけない日本の家屋が持っていた特徴が、そのまま人と人との関係を規定していた。ちょっと面白い話だなとおもいます。

そしてこの「LAC会津磐梯」はまさにこの地域の「縁側」の役割を果たしている。ぼくにはそんなふうに思われました。

磐梯町という「うち」に住まう方が、「そと」からやってきた人々と、ちょっとした交流を楽しむ。僕たちのように外からやってきた人間は、ある程度まとまった期間をこのLAC会津磐梯という「縁側」で過ごす。

家のご主人なり奥さんがお茶やお茶請けを振る舞ってくれるように、磐梯町の元気な農家のみなさんや地元の酒蔵、クラフトビール工場の方なんかが持ち寄ってくれた地元の「ちょっとした」ものでもてなしてくれる。

働くことと住まうことの関係に加えて、共同体の内と外を緩やかにつなぐ心地の良い関係性。現代人が忘れかけていたものが、このLAC会津磐梯には溢れているように思われて、それがこの場所の魅力に直結している。滞在が長くなればなるほど、だんだんこの場所から離れるのが名残惜しくなってくる。

ここを去る日がいつか来るということは、僕の心を少しだけ暗いものにしましたが、そんな場所がこの日本にはまだあって、そしていつでも都市での生活に疲れた僕たちを「おかえり」と言って迎え入れてくれる。

そういう場所があることは、僕たちのささやかな財産であると、そんなふうに思っています。

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