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LivingAnywhere Commonsでテレワークをしながら、色んな場所を旅してみる。〜遠野編(1)〜

実家のある大阪に帰っていた僕が次の旅の目的地に選んだのは東北地方でした。

大学では言語学(英語)を専攻していましたが、もし仮に外国語を専攻していなかったなら、僕はおそらく民俗学を学ぼうとしていただろうと思います。長じるにつれ、人生の来し方を時に恥じ、時に後悔することが増えていった僕にとって「もし仮に、大学で英語を学ばずに民俗学を学んでいたなら」と空想することは、タフな日常につかれた自分を慰めるための、ある意味ではお手軽な、現実逃避の手段の一つにすらなっていました。

そんな僕にとって「遠野」は憧れの地でした。岩手県中東部にある、周囲を山々に囲まれた遠野盆地の中心地であるこの街は、かつて七つの街道の交わる場所として交易を中心にで栄えた街であり、日本民俗学の祖である柳田國男が『遠野物語』を編纂するきっかけになった、まさにその土地です。

「おしらさま」や「かっぱ」「ざしきわらし」といった、その書籍の中に詰め込まれた興味深い民間伝承の数々もさることながら、柳田國男をが紡ぎ出す夢のように美しいテクストが、現実の世界と空想の世界のあわいを漂うような心地よさを僕に与えてくれ、いつまでも読んで聞いていたくなるような感覚を体験させてくれたことが、おそらくは、僕が民俗学に、そして柳田國男その人に魅せられた、一番の理由なのかもしれません。

あれから時間はずいぶん流れて、もうあのとき教室で、どんなことを感じ、どんな事を思いながらあの流れるような美しい日本語に触れていたのかを思い出すことはできないけれど、その昔からのあこがれの場所にLivingAnywhere Commonsの拠点がある、ということはなんだかとても幸福な偶然に思えました。

このサービスの存在を知ったときからずっと「いつか絶対遠野に行く」と決めていて、その願いをついに現実のものとするために、ある意味で外国を旅するとき以上の期待を感じながら、季節外れの小春日和の暖かさが続いた大阪をあとにしました。

物語のまち

夕方発の新幹線に乗り、東京駅八重洲口から夜行バスに乗って盛岡へ。そこから電車を乗り継いでJR東北本線「遠野駅」についたのは翌日の昼下がりでした。

江戸時代、七つの街道が交わる交通の要所としてずいぶん活況を呈していたというのがまるでどこか別の、おとぎの国のお話ででもあるかのように、この街はひっそりと静まりかえっていました。そしてその印象は、僕がこの場所を出て次の目的地に向かうまで、ついに変わることはありませんでした。

それはつまり、駅前の広々したロータリーから真っ直ぐに伸びる、とてもよく整備された駅前の大通りとそこから東西に広がる市街、そして「遠野」という昔話の街のイメージが、どうも上手く僕の中で像を結ばなかったということで、なんだか人の生活の営みがどこかに置き去りにされたまま、街の造りだけが時代の移り変わりに合わせて変化していったかのような、そんな不思議な印象を、その閑散とした市街は僕に与え続けたのでした。

事実、到着したその日の昼下がり、通りには人の姿はほとんどなく、駅前からまっすぐに伸びる大通りを、かつてお城があったという「南部神社」の方に向かって歩く道すがらすれ違ったのは、少し色褪せたモノクロームの写真の中からそのまま飛び出してきたかのような、モンペ姿の年配の女性一人だったのでした。

小上がりと裏庭と道具Uと、Commons Space

駅から徒歩およそ10分弱、その南部神社の参道入口にほど近い交差点の辺りに、LivingAnywhere Commons遠野である「小上がりと裏庭と道具U」はありました。

もとはかき氷や大判焼きを販売していたという民家であった木造2階建てのその建物は、地元の人の協力を得て、人々が集う交流スペースに生まれ変わっていて、その2階がレジデンスエリアとして、素泊まりの宿泊を提供しています。

昭和の建物がほのかに放つノスタルジーと、最新の設備がほど良い加減でマッチしたこの心地いい空間が、これから自分が2週間生活する場所になるというのは、自分が今、憧れの遠野の地にいるという事実と併せて、僕の心を踊らせてくれました。ここ遠野は、旅人でもあった柳田國男が生涯愛し続けた地でもあります。

やっぱり来てよかった。到着してからまだ1時間もたたないうちに、そんな事を感じ始めていました。ただ、そんな素敵なおとぎ話の街で僕が過ごした2週間というのは実に多忙を極めるものでした。

毎朝6時に起きて朝食を取り、コーヒーを飲んで服を着替えて支度をしたら、おもむろに1階にある小上がりになっている交流スペースに降りていきます。そこで午前中の大半の時間を仕事に費やし、お昼下がりからはものを書いたり、その日予定されているミーティングをこなし、終わってみれば夜の12時前、という生活をひたすら続けた結果、いわゆる「観光地」のような場所にはついぞ赴くことができませんでした。

つまり、その2週間の大半を、僕はひたすら「小上がりと裏庭と道具U」と、その隣りにあるカフェ兼コワーキングスペース「Commons Space」にこもって仕事をし続けた、ということになります。

けれど、それはとても素敵な時間であったこともまた事実です。

木のぬくもりと広々とした空間がとても心地良い「Commons Space」で、窓の外をみながら(仕事とはいえ)洋書を読んだり英語を学んだりすることは、僕にとってはなにものにも代えがたい時間でした。それが高校生の時からの憧れであったその土地を十分に堪能することを阻むものになっていたとしても、です。

僕がいま、自分の生業の一つとしている「オンライン英会話」のセッションとその準備、そして自分自身の英語力の向上に一日の時間の大半を費やさざるを得ないことになったこの場所で過ごした、ラップトップの向こう側にいる自分を必要としてくれている人たちとの時間は、この場所で過ごすことの喜びと相まって、とても印象深く、僕の心に残り続けることになるんだろうと思います。

そしてそんな多忙でかつ満たされた毎日を過ごすのにピッタリだったのが、実にここ「LAC遠野」だった、と思っています。

博物館三昧

一日の大半の時間を机に座って、パソコンの向こう側の人々と会話をし続け、自分自身もまた学習者として英語を学び続ける中で、「完全なオフの日」というのはここに滞在中の僕にはありませんでした。

代わりに、ちょっとしたスキマ時間を見つけて、市街を流れる早瀬川の河川敷を歩いたり、LAC遠野から徒歩5分圏内に3つもある博物館をはしごする、という時間の使い方が実にしっくり来る生活圏を、この遠野の街は僕に与えてくれていたように思います。

遠野についたその日に、小上がりのスタッフさんに教えてもらった「遠野市立博物館」では、この地が交易の中心地として栄えた歴史や、その地勢がこの地を「民話の里」たらしめることになった起源が語られ、展示されていて、僕は滞在中、実に複数回にわたってこの博物館を訪れました。

じっと座っていることに疲れた僕に、博物館の展示室が提供してくれる少し暗くて心地いい空間は、実に僕の疲れを心身ともに癒やしてくれるものでした。

そのすぐ近くにある「とおの物語の館」は、柳田國男の『遠野物語』の世界を視覚的に体験させてくれる展示になっていて、併設されている「柳田國男展示館」とともに、いつまでもそこで時間を過ごしていたくなるような空間を提供してくれていました。その「柳田國男展示館」は、かつて柳田が折口信夫などの日本民俗学の創始に深く関わった人々ともに時を過ごした旅籠を移設したものだそうで、明治時代の古き良き建築をも併せて見学できる素晴らしいものであったうように思います。

そのとなりには、東京都世田谷区からこの遠野の地に移築されたという「旧柳田國男隠居所」もあって、ちょっとしたスキマ時間を有意義なものにする施設に事欠きません。

それらの博物館の裏手に、いわゆる鍋倉城址になる鍋倉公園の入り口「南部神社」があります。晴れた日にその神社のある高台に登ると、遠くには日本百名山の一つであり、この地方の人々の厚い信仰を集める名山「早池峰山(はやちねさん)」や、遠野盆地を一望のもとにおさめることができるといいます。残念ながら、僕の滞在中は一度も、その美しい山容を表してくれることはなかったけれど。

太陽が出ている時に歩く早瀬川の河川敷は、東北地方のきりっと引き締まった初冬の空気と暖かい日の日差しを、周囲を囲む山々とともに楽しむのには絶好の場所で、ここもまた、時間が許す限りいつまでもいたいと思えるような場所でした。

半日、一日といったまとまった時間を過ごすには若干物足りない遠野市街ですが、そのことがかえって、日々多忙を極めていたこの時期の僕に、徒歩5分圏内の程よい心のオアシスのようなものを提供してくれていたことは事実です。

そういう小さな時間の積み重ねのうちに、少しずつ形成されていく、僕のここ遠野での思い出。次回は、そんなささやかな思い出たちについて、筆を走らせてみようと思います。

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